yoo bird diary

yooが自由気ままに書くブログです

日本製がなくなっていくことについて

新しい商品を作るにあたって、金具屋さんで、なかなか良い感じの留め具を見つけました。

商品化するために、この金具は定番でずっと作られるかどうかを質問しました。

するとお店の方が、
「じつは、ここからここまでの留め具関係の金具は、工場さんが廃業しましたので、在庫限りなのです。」

「・・・」
私は、またかという思いと、ほかにも色んなことが頭の中をグルグルしましたが、何と言葉を返していいか分かりませんでした。

お店の方の話は続きます。
「みんな、安いからといって、中国にうわぁーと行っちゃったけど、今は中国も人件費が上がって、また、生産も日本に戻ってきつつある。やっぱり日本製は、金具ひとつにしてもいいと、みんな気づいたんですよね。でも、その間に、日本の工場さんは体力がもたなくて、つぶれちゃって。まぁ、私たち、消費者も悪いんだけどね。金具じゃなくても、他の商品だって、安いからといって、そっちを選んじゃったんだから。でも、一度つぶれたものは、もう元には戻りません。」

金具だけではなく、日本製の材料を使って、日本で生産していると、よく似た状況にぶつかります。糸屋さんがつぶれたから、染色屋さんがつぶれたから、この生地の生産は終了します。とか、工場さんも儲からないしやめちゃったとか。
たしかに、そうです。私も安いからといって、買い物することはよくある。
でも、何だかな…日本のよいモノは、やっぱり残って欲しい。
複雑な気持ちと、私も微力ながら頑張ろうと思ったのです。

スピリチュアルは信じられる?

スピリチュアルっていう言葉、最近、よく聞くようになりました。
私は、興味はあるし、どちらかというと好きな方だと思うんです。ずいぶん前だけれど、「オーラの泉」も毎週欠かさず見ていたし。

霊なんかは見えないので、100%は信じきれてないんだと思うのです。

でも、やっぱり、そういう力はあると思うような出来事にも出会ったりして。目に見えない力、大いなる力は、あるんだろうと。

じつは、少し前、お風呂で湯船に浸かっていたら、理由もなく、とてつもなく幸せな感じに包まれた時間を過ごしたのです。香りの強いスプレーを振って入ったからなと思い、次の日も同じようにしたんだけれど、あの日だけだったんですよね。時間にして、1時間くらい。

スピリチュアルなことを仕事にしていない、どちらかというと論理的な男性に、その話をする機会がありました。
そうしたら、「その事実はあるんだから、そうなんですよ。」と言われて。
「でも、信じられないんです。」と言ったら、
「それは、起こったことなんだから、信じてください。」と。

信じよう、受け入れようと思ってはいるのですが…
こうやって、文章にしていたら、やっぱり事実は事実なのだなと、思えてきたような…

周りの人たちの変化で思うこと

最近、周りにいる人が変わってきたと思う。
ずいぶんと、年下の友達も増えてきた。

以前は、年下、それも12歳それよりもっと、年下の人とは話したこともなかった。

やっぱり、年は関係ないなと思う。
私の年下の友達は、本当にしっかりしている。
自分の人生に対して、正直に一生懸命。
教えられることも多い。

性別や年齢に関係なく、色んな友達がいるというのは、とても幸せなことだと思う。
私は、自分の人生に対して、真剣に生きている人、真剣に生きたいという人と、関わり合いたいと思っている。

そして、自分もそうでありたいと思っている。

以前は、もっと自分の人生に対して、後ろ向きな人が周りに多かった。
私も、きっと、そうだったんだと思う。
類は友を呼ぶというし、同じ波長の人を引き寄せるというし。

やはり、自分の人生は自分で創っていくのだなと思う。

素敵だなと思う人

私がいいな、素敵だなと思う人に共通するのは、知的な人です。男性、女性にかかわらず。と、最近、気付きました.

知的な人って、知識がある、勉強のできる人というのではなく、知的な雰囲気のある人のようで。
そんな人って、バランスがいいような気がするのですよね。

ひとつの事に偏っている人も、それはそれで魅力的なのだろうけれども、ずっと一緒にいたりするのは疲れる。
こだわりが強すぎる人も。

自分を大切にして、自分のことも考えるけれども、それと同じように、周りのことも大切にして、周りのことも考える。

会話してても、自分の話したいことばかり言うんではなくて、相手の話しも、ちゃんと聞く。

どうでもいいような話しもするけど、中身のある話しもする。

見た目に関しても、例えば、洋服やメイクなんか、流行は取り入れつつも、自分が好きで似合うものを選んでいるとか。

自分が何が好きで、何が嫌いか、何が心地よくて、何が心地悪いのを、つかんでいるのかもしれません。

それって、自分をよく知ってるんだろうと思います。

知識や外の情報を知り、いったん、自分の中に落とし込んで、自分のものにする。
自分と向き合う時間を持ってる人は、素敵だなと思うのです。

どんな女性でありたいか

せっかく、女性に産まれたのですから、女性らしく生きたいと思っています。

女性らしくというのは、というのはどういうことなのか。

私の理想の女性像は、優しく、包容力があり、臨機応変でしなやかな人。そして、いつも、無理せず、等身大でいる。自然体な感じ。自然体だからって、ナチュラルな暮らしやナチュラルメイクとかではなく。

男性と競い合うことなく、素直に頼ったり、甘えることができたり、包み込むことができたり。
体つきも違うように、体の構造が違うし、一般的に、力での喧嘩をしても負けます。

でも、ある部分では、圧倒的に強い。

個人差はあると思うのですが、
女性は、男性より、変化のある人生を送ることが多いです。
例えば、結婚すると、相手の姓になる。
もちろん、相手の姓になることを選ばない選択もできますが、圧倒的に相手の姓になる人が多い。

すべての女性が、子どもを産む訳ではありませんが、男性が、出産することはないし。

生き方の選択肢が、とても多い。

結婚せず、仕事を中心に生きる。
結婚する。子どもがいる、いない。

子どもを産んで、子育ての間は、子育てに集中することもできる。
子育てが終わってからも、仕事をしたければする選択もあるし、しない選択もある。
子どもを産んで、すぐに仕事に復帰する人もいる。
仕事をする時間の長さも、濃さも、それぞれ。

なので、自分の心に正直に、臨機応変でしなやかでありたいと思うのです。

自分の核はあるけれども、その場その場に合わせられるしなやかさ。
ただ単に、周りや状況に流されるのではなく、流されるときも、自分が流されていると自覚するみたいな。

せっかく、女性として産まれてきたのですから、めいっぱい欲張って、女性の人生を楽しみたいです。

ご縁2

先日、ご縁の記事を書いたのですが、あれから、動きがあって…

前回の部分は、以下
===============
今回、同じ時期に、Cさんという方を紹介してもらうことになっていたのですが、こちらは、私の直接の知り合いDさんのが、Eさんに頼んで紹介していただきました。 Eさんは、私のことをよく知らないまま、Cさんを紹介してくださったので、私は、いきなり、Cさんにメールを送ったのですが、返事がなく…

DさんとEさんのご好意には、感謝しつつも、Cさんのことは、縁がなかったのだなと思ってます。
なので、追いかけるのも、やめておこうと。
===============

と、思っていたのですが…

別件で、Dさんにメールすることがあって、先日のお礼と、ご縁がなかったことも伝えました。すると、Dさんは、そんなことないはずと、またEさんに連絡してくれたのです。

今度は、何度もメールで、私とDさん、私とEさんとの、やり取りが続きました。

どうやら、Cさん宛てに、私が直接送ったメールが届いていなかったことも分かりました。

そのおかげで、まったく知らなかったEさんが、どんな方かを知ることができ、私のこともEさんに知ってもらえました。そして、Cさんがどんな方かを、Eさんからお聞きすることもできました。

メールが届かなかったおかげで、前もって、Eさんのお人柄も知ることができ、今度、Eさんと会うことになったのです。

じつは、一度目、届かなかったメールを送った時、あまりにも情報不足だったので、私も不安だったのです。

やっぱり、タイミングと縁は、あるなと。
きっと、Eさんとお仕事するようになるんじゃないかと思うのです。

運動会の組体操

運動会の組体操で、ケガをする生徒が多いとのニュースの報道を見ました。

また、この報道で、組体操を自粛する学校が多く出てくるのか…と思うと、残念でなりません。たしかに、今の時代、学校の先生は、責任問題もあり、大変なのは、とても分かります。

人間は、生きていれば、必ず、ケガも病気もする。それって、とても、自然なことだと思うのですが…

マスコミも、保護者も、周りの関係者も、世間も、もう少し、大人の気持ちを持って、見守ってほしいなと思うのです。

ケガをしてはいけないからと、何でも前もって、阻止していては、その後の成長がないのでは…と。

先日、娘の運動会で、組体操をする娘の姿を見て、とても成長を感じました。
娘も、組体操の競技をすることを、とても誇りに思っていたようでした。

組体操って、小学校低学年の頃、高学年はスゴいな、カッコイイなと、憧れと尊敬の気持ちを持って見ていたと思うのです。
私も、小学校の時、そうでした。

いつか高学年になって、この競技を自分もするのかと思うと、早くやってみたいと思ったり、楽しみだと思ったり、恐いと思ったり、自分もできるのかと思ったり、自分もその番が回ってくるのだと、心づもりができたり。

確かに、行き過ぎた巨大ピラミッドは、どうかと思いますが、無理のない範囲での、競技としての組体操は、できないものでしょうか。

せっかくの、子どもの成長の機会を奪うのは、どうなんだろう??と、ニュースを見て思ったのでした。